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愛にできることはまだあるかい(RADWINPS 作詞:野田洋次郎)  歌詞の解説!

愛にできることはまだあるかい
ムッチローは今日も流行の音楽を取り上げて解説をしていきます。
本日はRADWINPSの新曲『愛にできることはまだあるかい』を見ていきます。
映画『君の名は。』を担当したことで一気に知名度が上がったRADWINPSですが、同じ新海誠さんが手掛けた映画『天気の子』でも主題歌を担当することになりまして、その楽曲がこの『愛にできることはまだあるかい』です。
MVの完成度も非常に高く、見ていていろいろ考えさせられる楽曲だな、という印象がありますが、歌詞を1つずつ見ていくことでこの曲の魅力をもっと見つけていければと思います。
何も持たずに生まれ落ちた僕
永遠の隙間でのたうち回ってる
諦めたものと賢いものだけが
勝者の時代に何処で息を吸う
昨日取り上げたLiSAさんの『紅蓮華』でも似たような歌詞がありました。
何か1つのことを目指して一生懸命に頑張っている間はいつも苦しくて、とても気が遠くなる時間でもあります。だからこそ、人はそれを諦めることで安全で安心な人生を過ごす選択をする。そして、賢い知恵のある人はそれらの試練を乗り越える力があり、大きな幸せを掴み取ることができる。
大きな成功を目指して努力をし続けている人間だけが、苦しく、排除されるような世界に私たちは生きているわけです。弱肉強食とはよく言いますが、「諦めた人間」という新たなジャンルを追加したのが人間社会の冷たさを表現しているようで、RADWINPSの新たな試みとも言えるでしょう。
支配者も神も何処か他人顔
だけど本当は分かってるはず
勇気や希望や絆とかの魔法
使い道もなく大人は目を背ける
それでもあの日の君が今もまだ
僕の全正義のど真ん中にいる
RADWINPSの楽曲の中に「おしゃかしゃま」という曲があります。
「神」という存在をもっと哲学的な面から中毒性のあるリズムに乗せて歌った有名な曲ですが、他にもRADWINPSは「有心論」や「ふたりごと」などでも、「神」について書かれている楽曲がすごく多いように思えます。
この曲もそれらに似た切り口のように思えますが、この曲で気に入ったのは「勇気や希望や絆とかの魔法 使い道もなく大人は目を背ける」という部分。
サンタクロースも子供の頃の夢とかも、大人になってからは「くだらない」と言ってすぐに片付けてしまうわけですよね。でも、それらと1つずつ向き合っていくことが「僕らにできること」なのかもしれませんね。
また、この曲の主人公が「君」という存在の背中を追って人生を歩んでいる点も、『紅連華』と似ています。
世界が背中を向けてもまだなお
立ち向かう君が今もここにいる
愛にできることはまだあるかい
世界を相手にしても何度も自分が正しいと思った方へ進んでいく「君」の姿を主人公は見ているわけですね。
ここまでくるとバンドや歌手によって表現の仕方が違うだけで言っていることはみんな同じなのかな、なんて思ったりします。ただ、私たちが評価するのってまさに表現の部分で、それがどれだけ美しく歌詞として書かれ、音楽というツールを生かしたものなのかが大切なのでしょう。
君がくれた勇気だから
君のために使いたいんだ
君と分け合った愛だから
君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
こう歌詞を縦に並べてみたから分かることですが、とにかく「君」のことが主人公は大好きなようです。
この世界はどこか冷たくて、「愛」が感じられる場所ではないように感じられる。そんな中で「君」は確かに自分に勇気をくれた。「愛」を育んでくれた。
だからこそ、今は「君」に、「君」にだけ「愛」をお返ししたいんだ。そんな意味合いだと思います。
人と関わっていく中で、自分だけでは生きていけないんだということをよく感じると思います。多くの人が自分にくれた「愛」があったから、今の自分があるんだと。だからこそ、今度はその自分が、誰かのために「愛」を伝えなければならない。そうやって人生を生きていくんだ。それがきっと正しいんだ。そう主人公は私たちに伝えてくれているのかもしれませんね。
定めとはつまりサイコロのでた目
はたまた神のいつものきまぐれ
選び選ばれた 脱げられぬ鎧
もしくは遥かな揺らぐことない意志
果たさぬ願いと 叶わぬ再会と
解けぬ誤解と 降り積もる憎悪と
私たちは常に不安を抱えながら生きています。それは誰でもです。それはサイコロの出た目に縛られているのかもしれないし、神様のちょっとしたきまぐれのせいかもしれないし、はたまたそれは私たちの変わることのない強い意志なのかもしれない。その正体を知ることは難しい。それでも私たちは生きていかなければならない。互いに愛を育みながら。
許し合う声と 握りしめ合う手を
この星は今日も 抱えて生きてる
愛にできることはまだあるかい
 
RADWINPSにとっての「愛」とは、今のところこういう答えなのかもしれません。
許し合う声と握りしめ合う手。
それこそが私たちの育むべき愛の形なのでしょう。
 
何もない僕たちになぜ夢を見させたか
終わりある人生になぜ希望を持たせたか
なぜこの手をすり抜ける物ばかり与えたか
それでもなおしがみつく僕らは醜いかい
それとも綺麗かい 答えてよ
 
ここはねぇ、はっきり言って涙が出そうになりましたよ。ほんとに。
私自身起業をするために今いろいろな準備をしているんですが、本当につらいことばかりです。それは起業してからも変わらないと思います。
でも、それでも私は、どこかにある成功を追い求めて走るのをやめようとしない。どうしてこんなに感張っているのだろうと疑問になることはありません。それがもはや義務のように感じられているからです。
何もないまま、親や友達に助けられながら生きてきて、同じように夢を見て、きっといつかは終わってしまうこの人生のどこかに幸せを探している。走り出した時にはうまくいくと思っていたけれど、前に進むにつれてうまくいかないことばかりで、それらに押しつぶされそうになることだって多々ある。それでも必死にしがみついて、必死に「愛」を求めて進み続ける私たちは、とても美しいものなんですね。
どんなに辛いことがあっても、苦しいことがあっても、それは美しいことなんだって思うことができたら、それ自体が幸せなのかもしれません。
ああ、語りたいけど時間がない。
うぅ…
 
愛の歌も歌われ尽くした
数多の映画で語られ尽くした
そんな荒野に生まれ落ちた僕、君 それでも
愛にできることはまだあるよ
僕にできることはまだあるよ
 
これはやっぱり思ったことあります。それは私だけじゃないはず。
どの音楽を聴いても、どの映画やドラマを見ても、小説や漫画を読んでも、どれもこれも「愛」のことばかり。もういいよってくらい「愛」で埋め尽くされている。
それでも私たちがそれらを見たり聴いたりして助けられるのはどうしてなんだろう。この曲はそんなことを考えさせてくれました。
まだ、まだまだ愛が足りないのです。私たちは、もっともっと、もっと愛を必要としている。身の回りの人、どこかで困っている人、何かになろうと努力し続けて、負けそうになっている人。みんながいっぱいの愛で満たされたなら、どれだけ素敵であたたかい世界になるんだろう。
すごく壮大で素敵な曲だったわけですね。